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20100925

【コメント】

3次元CADとの出会い(教員/角井恵三)



 高校時代はバイクが好きで、「自動車の整備士にでもなるのかな」と、人ごとのように自分の進路を漠然と考えていましたね。

 バイクや機械をいじくるのが好きで、摂南大学工学部機械工学科を卒業後、ポンプメーカー、臨床検査機器開発会社などの機械設計技術者として15年あまり企業で働いていました。
 そのころの私は、AUTO-CADという世界標準の2次元CADを使い、来る日も来る日も機械部品の図面を描いていました。
 自動図面描画機みたいなもんです。一日50枚くらいざらでしたね。メカ?メカは考えますよ。でも構想決まったら、ひたすら製図です。
 PCの前に一日中座ったまんまで、おかげで体重も100Kg近くに。あれはブロイラーですね。今から15年以上前のことです。

 ウィンドウズはVer3.1。コンピューターも今とは違い、ハードディスク100MB=10万円の時代で、CPUも33MHzと処理速度は今の百分の一の遅さでした。一度再描画指示をすると5分ぐらい表示に時間がかかりPCは止まったまんま。ストレスとの戦いが毎日続いてました。
 ちょうどその頃、バブルがはじけ景気は急落。例に漏れず私の勤める会社も業績不振で、ボーナスも出ない状況に陥ってしまいました。仕事も激減。
 「暇っすね。」
と、言うと上司は、
 「こんなときこそ自己啓発しろ。」
と、意味不明なことを言い出す始末で、そんな暇があったら営業活動して、自分で仕事を探して来たいくらいでした。
 同業大手はその頃、3次元CADを本格的に導入し、3次元曲面のすばらしいデザインの新製品を矢継ぎ早に市場にリリースし出していましてねぇ。焦りましたよ。このまま2次元CADで設計していては、明らかに時代から取り残されてしまうとね。会社に3次元CADの導入を上申してみましたが相手にされず、急速に仕事に対する情熱は薄れていきましたね。
 そんな時、趣味でデザインしていたレース用のヘルメットを、業者が仕入れたいという話が入り、思い切ってサラリーマンをやめちゃいました。1995年の春です。
 私自身がモトクロス国際B級ライセンスを持ちバイクのレース活動や、ヤマハのインストラクターをしていましたので、ヘルメットのカスタムペイントは結構盛況でした。芸能人のを塗ったりもしましたよ。島田Sさん、長原Sさん、風見Sさん・・・・。
 でも結構、手間ひまかけて仕上げてもそんなに儲からんのです。
 4年で家計が困窮しました。子供もいましたしね。パソコンショップも手がけましたが、ぱっとせず。
 そんなときに偶然、やりたかった3次元設計の請負をしないか?と知り合いから声がかかったんです。千載一遇とはこんなときに使う言葉やと思いました。ほんと神様に感謝しましたねぇ。

 ところが、世の中はそんなにあもうなかったんです。
 安物のIBMのノートパソコン一台渡されて、

 「明日からオムロンへ出向。肩たたき一台3Dで設計してきて。」
 「ちょ、ちょっとまってください。3次元CADは触ったこともないんですが~。」
 「覚えながら、設計してきて。」
 「誰が教えてくれるんですか?」
 「そこらの社員に聞いたらええ。」
 「そんなむちゃくちゃな・・・・・。」

 漫才みたいな、やり取りがあり本当に1ヶ月で肩たたき一台3Dで設計してしまいました。
 これが、私と3次元CADとの出会いだったわけです。


(教員/角井恵三)

20100916

【コメント】

私にとっての「もの創り」



遠い昔。

 モノゴコロついたころから父親に、小刀を使って竹や木を削ることを教わっていました。
 無機質な素材が、自分の手で徐々に意味のある存在へと形を変えてゆくことに、ドキドキしながら夢中で竹とんぼや、水鉄砲、ブーメラン、竹馬などを作り、野原を駆け回っていたのを覚えています。
 今の私の原型を形作ったのはきっとあの頃で、肩をポンと押してくれたのはまぎれもなく父であると感謝しています。もの創りを目指して、躊躇無く摂南大学 工学部機械工学科に進学しました。
 今思うに、あの頃の私のもの創りは、自分のための行為でした。しかし今、もの創りを生業としている私にとって、その意義は大きく変わってきています。

 「自分の作品で人に喜びを与えたい。」

 この世に生を受け生き続けている自分の存在意義を、もの創りの中に模索している最中です。

 部屋の中をぐるりと見渡してみてください。

 私たちの身の回りにあふれている品々。それらのほとんどが、見知らぬ誰かのデザインでこの世に生を受けたものばかりです。そのことに対してあまり意識もせずにその機能の恩恵を受けているのが日常だと思います。しかし、製品のひとつひとつにデザイナーの思い入れがきっとあるはずで、それはちょっとした丸みであったり、肌触りであったりします。

 プロダクト=製品 に求められるものは何でしょう?

 あなたのお気に入りのものを思い浮かべてください。使いやすい、丈夫だから、色が気に入っている、思い入れがある、ブランド品、中には高かったのでという人もいるでしょう。でもそれらの理由は二次的な理由で、本質的には持っていることに喜びを感じているからではないでしょうか?
 私は、製品に求められるものは所有者に満足感を与えることに帰結すると考えています。
 あなたが、もしもお気に入りの品物を大事にしているのなら、プロダクトデザイナーの資質を潜在的に持っているといえます。
 プロダクトデザインを学び、人に喜びを与え、それが自分自身の喜びに変わる。
 とても素敵な連鎖だと思いませんか?

 略歴
  1959年 兵庫県川西市生まれ
  小学生時代、プラモデルで押入れがあふれていました。
  中学生時代、フォークソングブームでバンド活動。
  高校生時代、原付バイクでツーリング三昧。
  大学生時代、自動車のエンジン改造に夢中になる。
  会社員初期、2次元設計業務とモトクロスレース参戦。
  会社員中期、3次元設計と出会い家電商品造りに没頭。
  起業①、ヘルメットのカスタムペインターとして全国ネットで活動。
  起業②、パソコンショップ、ITビジネス展開。
  起業③、設計開発会社㈱リアルデザインを設立。


 (教員/角井恵三)

20100913

【コメント】

デザイナーの仕事って



こんにちは。来年度からこちらの教員になります。
モノをつくるのが好きで、東京の美大に入りプロダクトデザインを学び、メーカーで洗面台やトイレのデザインをしていました。

プロダクトデザインの仕事は、モノの形を作ること、と思われていますが、本当はモノと人との関係をどうつくるか?ということになります。

学生の頃モトラというオンボロのバイクに乗っていました。荷物は載るけど遅いし、ズングリムックリした形だし色々と不具合はありました。しかし、乗っているとなんとも楽しいオートバイだったのです。
ちょっとした形、色、部品の配置、エンジンの音、、、乗っていて「楽しい」と感じるすべては、誰かデザイナーの仕事のおかげです。
デザイナーはモノを作ることを通して、「楽しい」というようなキモチを、使っている人に伝えるのが仕事になります。

デザイナーを目指していた頃は、単に「かっこいい」デザインを作ることがデザイナーの仕事だと思っていました。しかし、働き出して自分の暮らしと、自分の作っているモノを重ね合わせて考えたとき、単にカタチに現れないところにも、デザインの果たす役割は多くあることに気づきました。
そう考えると、デザイナーの仕事ってたくさんあるのだと、改めて感じます。


北條先生1



(教員/北條 崇)

20100831

【コメント】

大学選択とプロダクトデザイン~上林壮一郎



出身校:千葉大学および大学院
職務経歴:京セラ(3年8カ月)、スタジオ アンドレア・ブランジ(2年余り)
研究対象:プロダクトデザインと認識研究、コンテクストデザイン、
インターフェースデザイン、モノ学・感覚価値

中学生の頃は天文学者になりたかったこともあり、高校では理系でした。
しかし文系も捨てがたく、大学で理系と文系に分かれることに疑問を持ち、
その両方ができる分野を探していたところ、千葉大学の工業意匠学科は
工学部でありながら美術的なことをやるということでそこを目指しました。

デザイン系にしたのは、図工・美術が得意だったことと、
デザイナーだった親類に勧められたからです。

ただ類似する選択肢が少なく、多摩美のほかはなぜか電子学科や機械学科を
受けました。
理系だったのに、急に画塾に行って、羽箒や絵具などを使い始めたとき、
こんなことやっていていいのだろうかとすごく不安でした。

そのころ工業意匠(デザイン)は、きっと車のエンジンの設計をやるんだろう
くらいにしか理解していませんでした。
大学時代デザインというものが今一つ分からず、ずっと不安はありましたが、
大学院で自分なりにデザインとは人の意識を変え、生活を芸術にすることでは
ないかと考えてからはデザインの領域で働こうと思いました。


(教員/上林壮一郎)
写真は次の機会に・・

20100824

【コメント】

感動がプロダクトデザイナーを目指すきっかけになりました~平岡隆



FMステレオ放送が始まり、映画音楽・フレンチポップス等、
ラジオから次々と美しいメロディーが流れ、チェンバロの
繊細な響きと初めて出会ったのが中学時代でした。
暑い夏、涼しい楽器店のステレオ売り場で、好きな演奏家の
レコードを聞いたとき、感動の電撃が体を走ってしまいました。

あの一瞬は今も忘れません。
その無機的なモノが、有機的な人体をこんなに興奮させることに驚き、
モノを通して人の心に喜びを与える仕事がしたいと思いました。

日本画を目指し美大を受験しようとしていたのを改め、
デザイン、特にオーディオ機器のデザインがしたく、
プロダクトデザインの道に進みたいと思いました。
美大卒業後、すぐにハイファイオーディオ機器のデザインに携わり、
夢の実現に向け歩みだすことができました。

感動が、自分の進む道を決めたといえます。
感動があればつらい局面も切り抜けられます。

『自分は何に感動したか』について皆さんと語り合い
それぞれの原点を明らかにして、
進む道を共に考えてゆきたいと思います。

平岡先生写真

(教員/平岡隆)

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